最近、大学受験されてる方のブログを読むことが多く、懐かしく思ったので書き出します。
「学歴なんて社会に出たら関係ないよ」
私が志望校に落ちて滑り止めの大学に行くことが決まった時、周りの大人に言われた言葉。不本意入学の私を気遣ってくれたんだろうけど、周りの友達に劣等感を持っていた私には何の励ましにもなりませんでした。
私の通っていた高校は、国公立至上主義の学校でした。追試に補講は当たり前、受験勉強にも意欲の出なかった私は、私立の教科に絞ることもせず無謀な5教科7科目のセンター受験で玉砕しました。数学では本番にも関わらず自己最低点を記録しました。当然、志望校に出願もできず、ランクを下げて受けた二次試験も撃沈。同じ日に試験を受け合格したり、早くにネームバリューのある私立大への進学が決まった友人のツイッターを見ては落ち込む、そんな春休みを送っていました。親が許してくれた浪人という選択肢さえ拒む根性のない人間でした。結局、高校では話題にも上がらなかった大学に進みました。
それから受験期に撮りだめたJUMPの番組を見て、車魂DVDも解禁し、必死に受験のことを忘れようとしました。でも伊野尾さんを見るたびに、この人は頑張って明治行ったのに私は……と気持ちが暗くなりました。
大学に入って半月、学内で友達も何人かでき、初めてジャニショにも行き、名古屋での大学生活及びジャニオタライフを謳歌していた私は、「大学って思ったより授業楽だし暇だな〜、伊野尾さんも建築勉強してたし(当時伊野尾担)、私も建築の勉強してみよう」と、軽い気持ちで宅建(宅地建物取引士。年に一度試験があり、上位15〜17%しか取得できない国家資格。)を受けることにしました。
ここからが私の2度目の受験生活の始まりでした。とにかく講師の先生がうるさい。大学の卒業生ということもあり、受講生は先生からすれば大学の後輩にあたるのでとにかく遠慮なんてしないでズバズバと喋る人でした。
「遊んでる暇ないから。車校も通わないで。旅行も行かないこと。勉強しなきゃ落ちるから。絶対に。バイトは減らしましょう。寝るようなら帰りなさい。まあ僕はみなさんの将来なんてどうでもいいですけど。頑張る人の邪魔だけはしないでほしいんですよ。」
半年で何回聞いたかわかりません。高校でも同じことを言う教師はたくさんいました。至極真っ当なことだけど、正直、大学に入ってもこんなこと言われなきゃいけないのかとイライラしていました。でもここで反発していたら勉強なんてとてもできないから、素直に、先生の言うことを聞いていました。
片道2時間の通学、毎日進む講座の復習、受験は早めに安定した成績を取ることが大事だと思って頑張ってはいたものの講座内でも下位にいた(いつまでも劣等生だなぁと自分に腹が立った)私がいっぱいいっぱいになっていた、
2016/4/27 JUMPのツアー発表
これに行けたらJUMPに会える!コンサートに行ける! コンサートというものに、自分で行ったことも、誰かに連れて行ってもらったこともなく、当選すれば、人生初の現場でした。
でもこのままの成績じゃ行っても楽しくなんてならない……全力で楽しみたい!!!
受験生活はメリハリが大事だと、去年身をもって知った私は、JUMPのコンサートに行くことを決意。日帰りで済ませるために大阪最終日の1部を第1希望にして応募しました。
それから私は必死で勉強しました。大学の授業が終わって2時間は自習室で勉強し、それから1時間仮眠と食事をとって18〜21時に講座を受け、帰りの電車で眠気と戦いながら復習。23時過ぎに家に着いて、風呂を済ませ、終わらなかった復習を再開。午前2時に寝て5時に起き、1限を受ける。これが3ヶ月続きました。土曜に講座があるときはらじらーを聴けなかったし、ドクターXもリアタイできなかったし、HOPEは1話も見れなかった。スーパーダンクも見れなかった。27時間テレビは一切見れなかった。でも自担のドラマだけはどうしても見たかったのでそれだけは見ていました。
最初の方は面倒で仕方がなかったけど、もう2度と不合格で落ち込みたくなかったから、苦しい気持ちをぐっとこらえて、毎日過ごしていました。すると、成績が徐々に上がってきました。何回か平均点を超えることができました。
2016/6/28 第1希望当選
当落が前日あたりから出ていて、日中も気になって仕方がなかったので、勉強時間を割いて300回は電話をかけました。これで落ちていたら絶対モチベーション下がってたと思います。
ここで頑張ってもサボってもJUMPには会える。でも頑張っておいた方が絶対楽しめる。そんな気持ちで、7月も勉強に力が入っていました。
テレビでJUMPが映ると、「私この人たちにやっと会えるんだ!楽しみ!頑張れる!!」と、気持ちが高まり、シャッフルメドレーの渚のお姉サマーをエンリピしていました(当時伊野尾担)。
チケットが届き、座席検索をしては興奮し(ゴリゴリにスタンドだったけど)、前日のらじらー@大阪を聴いてまた興奮しました。そして迎えた、
2016/7/31 人生初の現場
ホールに入って心拍数がグッと上がって膝の震えが止まらなかったことを覚えています。「大阪〜!」と言われるたびに昇天しました。新規オタだったから双眼鏡はもってなかったし双眼鏡のありがたみもわからなかったからバクステ以外何も見えなかった(席がバクステ正面だった)けど、最高に楽しかった!
会場にいた時は。
ホールから出て携帯を見ると、一緒に講座を受けている友人から答練(本試験過去問題集。)の解説が送られていました。もう試験終わるまで遊ばない、と決めて帰りの電車で携帯に入れていたJUMPの曲は全て消しました。
余韻にひたることができませんでした。
これが、どれだけお金をかけても美人になってもたった1度しか味わうことのできない、私の、
「人生初の現場」でした。
どうせなら何もかも忘れて、家に帰るまで、JUMPのことだけを考えていたかった。そう思えば思うほど、自分で選んだとはいえ置かれた状況に悔しさがこみ上げてきました。
家に帰るとすぐ勉強にとりかかりました。人生で一番メリハリをつけていた1日だったと思います。次の日も家から一歩も出ませんでした。
初現場の2日後、民法の応用テストがありました。「このテストは大事だ」と先生も何度か言っていました。大学受験なら8月末の模試ぐらい。いつもより気合を入れて臨みました。でも頭をよぎるのは2日前の現場でした。あれだけ遊ぶなと言われていたのに、私は行ってしまった、という罪悪感でいっぱいでした。
試験の結果、私は30問中29問正解でした。
「今日は満点は出ませんでした」
私は講座内で1位になりました。
つい3ヶ月前まで平均点さえ取れていなかった人間が400数人中の1位になるなんてとても考えられません。自分でも頑張ったとは思ったけど、JUMPが力をくれたのかと本気で思いました。
それから大事なテストで手応えをつかめたたびに、ジャニショに行ったりDVDを買ったり、名駅で美味しいものを買ったりと、自分にご褒美を与えていました。成績は、合格圏内をずっとうろちょろしていました。
成績によるところが大きいですが、高3の時にはなかった心の余裕ができました。でも勉強の量は一切減らしませんでした。模試で良い判定が出ると必ず怠けて次の模試で成績が下がることを学んでいたからです。1日でもサボれば元の勉強量に戻すのがかなり大変です。体力的にも精神的にも。かといってずっと勉強ばかりしていたわけではなく、ノルマを達成したら終日遊ぶようにしたり、現場のある日は、○時に1部終わるからその10分後からレポ待機しよう、それでレポ一通り見たらまた再開しよう、というようにそこそこのオタ活もしていました。ツイッターに常駐していたのはリア垢を消していたから(周りは大学生らしく遊んでばかりで、見るとイライラしてた)です。夏休みはコンサート以外で遊ぶことはありませんでしたが、それなりに充実していたと思います。
きっと宅建を受けていなかったら、8月も10月も横アリに行っていたと思います。
夏休みが明け、授業が始まると、宅建を勉強する時間が減ってしまいました。夏休みも7日くらいしか入らなかったバイトは引っ越しもあったので辞めました。11月の終わりまでニートでした。
2016/10/6 友人からスタトロ最前のお知らせ
本試験の10日前、受験に向けて気持ちを整えていた私は浮かれてしまいました。頭の中が勉強モードから現場モードになりました。
でもあと10日。夢のような現実はどれだけ考えても変わらないんだと自分に言い聞かせて、最後の追い込みをかけました。
そして試験を受けました。自己採点をしたら、歴代で最も簡単な年の合格点を超えていました。その点数を超えれば、合格は確実と言われていました。合格しました。
オタ垢、リア垢、そして直接、たくさんの方にお祝いしていただけたことを覚えています。
それからオタ活一本にシフトチェンジしました。
2016/11/1 圭人りんのうちわを買うためだけにプレ販に行きました。この時から圭人担だったのかもしれません。
2016/11/2 初めてのガイシ。大ちゃんの視界に入れさせていただき、初めて現場で相互さんに会いました。ちなみに持っていたうちわは圭人りんでした。両隣伊野尾担。
2016/11/3 ありがたいことにオーラスに誘っていただけました。会場にいる全員の熱気が前日の比ではありませんでした。「ツアーラストだぜ!」と言われるたびにこれは夢かと錯覚しました。最後の挨拶はやっぱり山ちゃん。
「みんなここに来るためにいろんなことを頑張ってきたと思います。僕たちもみんなに会うために頑張ってきました。これからもお互いに支え合い愛し合っていける存在でいたいです。」
泣きそうになりました。心では泣いていました。あまりにも自分の状況が重なり、自分のことを言われた気がして仕方がありませんでした。JUMPが私のことを見てくれていたのかと思ってしまいました。
ツアーとともに駆け抜けた私の受験生活が終わった瞬間でした。
不本意入学で入った大学。でもそこじゃなきゃ宅建受からなかったと思っています。もし志望校に合格していたら、サボっても最後には何とかなる、なんていう安易な考えで社会に出るところでした。結果として大学に落ちたことは私にとって正解だったと思っています。
「どこの大学に行ったかじゃなくて、大学生活で何を学んだのかが重要」
私の従姉妹が言っていました。彼女も不本意入学、しかも私のところよりも偏差値の低い大学から、希望の企業に就職しました。その大学の出身者ではまず内定が取れないところだそうです。昔からこの言葉に説得力があると思っていましたが、宅建を受けて改めてその言葉が心に響きました。
まだ社会に出ていないから、社会の厳しさもわからないし、学歴なんて関係ないと、信じていたいけど信じきることができません。
でも、どんな大学であれ、本気で取り組めば、良かれ悪かれ、学べる事がたくさんあります。
合格した人も、そうでなかった人も、どうか1度、大学生活でバイトなり資格なり何かに本気で取り組んでほしいです。受験、学歴に対する考え方が変わるはずです。
長々と失礼しました。
余談ですが私と一緒に受講していた友人はセクチャン出のケンティー担になりました。今度初日参戦するそうです。